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アジャイル開発における技術アーキテクチャ意思決定の実践ガイド

Tags: アジャイル開発, アーキテクチャ, 意思決定, エンジニアリング, プロダクトイノベーション

アジャイル開発を導入、あるいはより深く実践しようとされているエンジニアの皆様にとって、日々の開発と並行して「技術的なアーキテクチャ」についてどのように考え、意思決定を進めるべきかは、重要な関心事の一つではないでしょうか。ウォーターフォール開発においては、開発の初期段階で詳細な設計を固める「ビッグデザインアップフロント(BDUF)」が一般的でしたが、変化を前提とするアジャイル開発では、このアプローチは必ずしも適切とは言えません。

プロダクトを成長させ、顧客に継続的に価値を提供し続けるためには、変化に強く、将来の拡張や修正が容易な技術基盤が必要です。しかし、開発を進める中でアーキテクチャに関する重要な意思決定に直面した際、どのようにチームで合意形成を図り、記録し、そして何よりも「アジャイルに」進めていくのか、具体的な方法に迷うこともあるかもしれません。この記事では、アジャイル開発における技術アーキテクチャの意思決定に関する考え方と、実践的な手法について解説します。

なぜアジャイル開発においてアーキテクチャ意思決定が重要なのか

アジャイル開発の目的は、価値のあるプロダクトを迅速かつ継続的に届けることです。この「価値」には、目に見える機能だけでなく、プロダクトの持続可能性や進化の可能性といった側面も含まれます。技術アーキテクチャは、まさにこの持続可能性と進化の可能性を支える土台です。

アジャイルなアーキテクチャ意思決定の考え方

アジャイルなアーキテクチャ意思決定は、BDUFのような一度きりの大規模な設計プロセスとは異なります。それは、継続的かつ漸進的なプロセスであり、開発を通じて得られる学習とフィードバックに基づいて進化します。

実践的なアーキテクチャ意思決定の手法

アジャイルな環境でアーキテクチャに関する意思決定を効果的に進めるために、いくつかの実践的な手法があります。

アーキテクチャ・スパイク (Architecture Spike)

技術的に不確実な問題や、複数の技術的な選択肢がある場合に、実際にコードを書いて調査・検証を行う短期間の活動です。

  1. 問題の定義: 何を明らかにしたいのか、どのような技術的な問いに答えたいのかを明確にします。
  2. 調査と設計: 関連する技術や手法について情報収集し、どのようなコードを書くかを簡単に設計します。
  3. 実装と検証: 必要最小限のコードを書き、問題が解決できるか、技術的な懸念が払拭できるかを検証します。
  4. 評価と報告: スパイクの結果を評価し、チームに報告します。得られた知見は、今後の開発やアーキテクチャに関する意思決定に活用されます。

例えば、新しいキャッシュシステムを導入する際に、複数の製品の中から最適なものを選定するために、それぞれの製品を試すスパイクを実施するといったケースが考えられます。

意思決定ログ (Architecture Decision Record - ADR)

アーキテクチャに関する重要な意思決定とその背景を記録するためのシンプルなドキュメントです。これにより、チームメンバーや将来の参加者が、なぜそのアーキテクチャが選択されたのかを理解できます。

ADRには通常、以下の情報を含めます。

ADRは、ConfluenceのようなWikiツールや、Gitリポジトリ内でMarkdownファイルとして管理するなど、様々な方法で運用できます。重要なのは、チームにとってアクセスしやすく、更新しやすい形式であることです。

インクリメンタルな設計と継続的なリファクタリング

アジャイル開発では、最初から完璧な設計を目指すのではなく、必要に応じて設計を改善していきます。新しい機能を追加する際や、既存のコードを修正する際に、より良い設計パターンを適用したり、コードの構造を整理したりします。これが「リファクタリング」です。

リファクタリングは、技術的負債の蓄積を防ぎ、コードベースの健全性を保つために不可欠です。日常的にリファクタリングを行うことで、アーキテクチャは少しずつ、しかし確実に進化していきます。

アジャイルなアーキテクチャ意思決定における課題と解決策

アジャイルなアプローチは有効ですが、導入時にいくつかの課題に直面することがあります。

スモールスタートでアーキテクチャを考えるには

アジャイルなアーキテクチャ意思決定の考え方をチームに取り入れるために、まずは小さく始めてみることができます。

架空事例:モノリスから一部サービスを分離するチーム

あるWebアプリケーション開発チームは、既存のモノリシックなシステムのスケーラビリティと変更容易性に課題を感じていました。特に、ユーザー管理と認証の機能が頻繁に変更され、他の機能開発に影響を与えている状況です。チームは、この部分を独立したサービスとして分離することを検討し始めました。

このチームはアジャイルなアプローチで意思決定を進めました。

  1. スパイクによる技術調査: まず、「ユーザー管理・認証サービス分離の技術的 feasibility(実現可能性)調査」というスパイクをプロダクトバックログに追加しました。チームメンバーのうち2名が1スプリントをかけ、サービス間通信の方式(REST, gRPC, Message Queueなど)や、新しいサービスに適した技術スタックについて調査・プロトタイプ作成を行いました。
  2. ADRによる意思決定の記録: スパイクの結果に基づき、チーム全員で議論を行いました。それぞれの方式のメリット・デメリット、チームのスキルセット、運用コストなどを比較検討し、特定の通信方式と技術スタックに決定しました。この議論の内容、代替案、決定理由、結果予測をADRとして記録しました。
  3. インクリメンタルな実装: 決定した方針に基づき、次のスプリントから実際にユーザー管理・認証サービスの分離作業を開始しました。一度にすべてを分離するのではなく、認証機能、ユーザー情報取得機能、登録機能といった具合に、小さな単位でサービス化を進め、既存システムとの連携部分を段階的に切り替えていきました。
  4. 継続的なリファクタリング: サービス分離を進める過程で、既存システムに残る関連コードのリファクタリングも並行して行いました。また、新しく作成したサービスのコードも、開発を通じて得られる知見をもとに改善を続けました。

この事例から学べるのは、最初から完璧なサービス分離計画を立てるのではなく、技術的な不確実性をスパイクで解消し、チームで合意形成を図りながら、小さく作り始めて段階的に完成度を高めていくアジャイルなアプローチの有効性です。意思決定の過程を記録することで、なぜそのように進めているのかがチーム内で共有され、後から振り返ることも容易になります。

結論

アジャイル開発における技術アーキテクチャの意思決定は、単に技術的な選択を行うプロセスではなく、プロダクトの将来を形作り、チームの生産性に深く関わる活動です。完璧な初期設計を目指すのではなく、漸進的、反復的なアプローチを取り、チーム全体で学びながら進化させていくことが鍵となります。

技術的な不確実性に対するスパイク、意思決定の背景を記録するADR、そして日常的なインクリメンタルな設計とリファクタリングといった手法は、アジャイルな環境でアーキテクチャを健全に保ち、プロダクトイノベーションを加速させるための強力なツールです。

もしアーキテクチャに関する意思決定に難しさを感じているのであれば、まずは小さな範囲でこれらの手法を試してみてください。チームで議論し、合意形成を図り、その過程と結果を記録し、そして実行を通じて学ぶ。このサイクルを回すことで、変化に強く、成長し続けるプロダクトを支えるアーキテクチャを築いていくことができるでしょう。